東洲斎写楽『奴江戸兵衛』

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技法   特殊印刷加工 
額サイズ 90×36cm
絵サイズ 37×25cm
補足説明 表装済み
状態 表装・軸・作品ともに未使用品の為、良好です。
付属品 紙箱収納
エディション -
 
店頭価格 14,040円(税込)

販売価格 7,560円(税込)




 

[作品のお問い合わせ]
【作品解説・掛軸】
二世大谷鬼次の江戸兵衛
 この絵は写楽作品中ではよく知られた有名な絵である。
 寛政六年五月の河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場し、悪人鷲塚八平次の手下の役である。
 勿論悪人の一味でありこの絵を一見しただけで、敵役大谷鬼次のマスクに、
 またポーズにも敵役そのものの凄味が現われでいる。
 無理にも引きゆがめられて一文字に結ばれた口、角形の紅隈で限られた二つの陰惨な眼、
 パットひろげられた両手の表情には、見る人を引き込むような追力がある。
悪方の一瞬が、これほど緊迫感をもって描かれている絵はない。
その緊迫感は、つき出した顔面を大きく描き、そこに重点が置かれているので、迫るカに圧倒されるのである。
両手の描写にいささか不自然があるが、それはむしろ一つの雰囲気として必要であるだけで、さして問題ではない。
それよりも、この絵を傑作にしている一つの要素は、その色彩にある。
大敵でない、それでいて憎らしい、という端敵役であるために、
その衣裳はかえって安手に派手であるのは歌舞伎の常道で、その役柄の色がここに出ている。
紅穀色の地に黄の縞も派手なら、襦袢の紅、着物の裏の濃緑も派手である。
この派手さが、不気味なマスクをさらに憎くたらしく見せている。写楽の芸術を直載に知るにいい作である。
 二世大谷鬼次は、三世大谷広次(第14図)の門人で、永助、春次をへて師の前名鬼次を継いだ。
 当時は実悪方の「上上白吉」の位にあった。寛政六年十一月には二世中村仲蔵の名をついで、
 写楽はこの襲名の時の狂言も描いているが、同八年十一月に三十六歳で没した。

【作者略歴】
東洲斎写楽
1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。
 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、
 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、
 誰か有名な絵師の変名ではないかということで、「写楽別人説」が唱えられた。
 写楽の作品は、殆どが役者絵である。
 描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、役者絵の発表時期は4期に分けられる。
 なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。
 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に当たる。
 写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。このほかに相撲絵なども残している。
 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、
 鋭い観察眼をもって俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。
 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。
 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し
 、日本でも再評価されるようになった。

【掛け軸寸法・体裁】
■表装寸 約90×36cm 
■画寸  約37×25cm
■表装  三段表装
■本紙  絹本
■箱   紙箱収納

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